第10回 穂温がほぼ同一のときに湿度が水稲の葯の裂開,受粉,花粉の発芽に及ぼす影響

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 今回は2008年3月27〜28日につくば市で開催された日本作物学会講演会で発表した「穂温がほぼ同一のときに湿度が水稲の葯の裂開,受粉,花粉の発芽に及ぼす影響」について簡単に紹介します.

実験の背景

 イネでは開花時に34℃を超える高温に遭遇すると葯の裂開が阻害されることによって,柱頭に着く花粉の数が減少し,受精障害が起こることが知られています.葯の,とくに基部が大きく裂開する品種では高温障害に強く,柱頭に多くの花粉が着くことによって安定して,受精できます.一方,葯の裂開が高温によって妨げられると,受粉数が減少し,受精に障害が発生します.
 右の図では上側は葯の先端部も基部も裂開し,柱頭に多くの花粉が受粉した様子(コットンブルーによる染色)を示しています.下側は葯が裂開しなかったためにほとんど受粉しなかった葯です(イネは自殖性とはいえ,風媒花ですから多少は花粉がつくこともあります).

このときの講演要旨(日本作物学会紀事別号のPDF)はこちらです.
 開花期の湿度が低いオーストラリアおよび開花期の湿度が高い中国江蘇省において水田を調査してきました(詳細は研究紹介 絵日記風1,4,5回を参照してください).その結果,湿度の低いオーストラリアでは開花時にかなり高い気温になるにもかかわらず,蒸発散による穂の温度の低下のために受精障害があまり起こっていないことを明らかにしました.低い湿度は穂の温度を低下させることによって,開花時の葯の裂開を促し,安定した受粉や受精につながっていると考えられます.すなわち湿度が低いとイネの穂からたくさんの水が蒸散して,水が水蒸気になるときに大量の熱を穂から奪い,穂を冷やすことによって気温が高くても,穂は暑くならないで,花粉の障害を防止している可能性があります.
 しかし,湿度そのものが葯の裂開,受粉,花粉の発芽などに関与している可能性も考えられます.そこで,今回は穂温をほぼ同一にした条件で高温不稔と関連の強い形質である葯の裂開,受粉,花粉の発芽に湿度が及ぼす影響を明らかにしようとしました.今回は予備的な実験を2007年夏に行った結果,いくつかの興味深い結果を得たので,報告します.(ちなみに2008年に8品種で本実験をしましたが,天候不順のために出穂・開花が揃わなかったのであまりうまくいきませんでした.ですが,その結果は後日,報告したいと思います).
第1回 オーストラリアでの調査(2005年2月)
第4回 中国江蘇省南京での水稲高温不稔調査
第5回 オーストラリア・ニューサウスウエールズ州でついに40℃を観測しました

実験方法

供試品種
 2003年の島根大学の人工気象室で行った実験で使用した品種から4つを選んで実験しました.2003年の実験における37.5℃の気温における不受精率はタカナリが最も低く,IR72IR65564-44-2-2三桂草の順で不受精率が高くなりました.

栽培概要と処理
 1/5000aワグナーポットに円形20粒に播種し,主稈のみ育てました.出穂1,2日後の開花数の多いときに,人工光型人工気象室に搬入し,2つの処理(低湿度区高湿度区)を行いました.低湿度区は昼温37℃,湿度50%に設定しました.実際には温度は約38℃,湿度は約40%になりました.高湿度処理区は湿度90%とし,穂温が低湿度区と同じになるように気温を37℃から1〜3℃低下させました.実際には湿度は75%程度となりました.処理は2日間行いました. なお品種間では穂温を揃えませんでした.
調査項目
 気温相対湿度を10分間隔で調査しました.
 穂温は当日開花する穎花の表面をキーエンスの放射温度センサー(下の写真)によって午前10時,正午,午後2時に測定しました.
 開花盛期の時刻 10分間隔で穂をデジタルカメラによって撮影し(下の写真),1つでも穎花の開花が始まった開花始めの時刻およびその日に開花した穎花のうち半数が開花し始めた開花盛期の時刻を調べました.調べ方は以下のリンクに詳述しています.

              イネの開花時刻は高温だと早まるのか?

 葯の裂開率 開花終了後,各区4個体から数個ずつ1次枝梗に着生し,その日に開花した穎花を採集し,葯の裂開率,受粉数,花粉発芽率を調査しました.
 花粉発芽率はコットンブルーによる染色によって調査しました.
 不受精率 処理終了から2週間,登熟させ,不受精率を調査しました.
 この実験では湿度の影響だけを明らかにしたいので,穂の温度そのものは高湿度区と低湿度区で同じようにしたかったのですが,実際に穂温を両区で同じようにすることができたかを示したのが右の表です.
 IR72とタカナリでは湿度が低い区では穂温が気温よりも約7℃と大きく低下したので,高湿度区の気温を35℃と低く設定しました.一方,三桂草は湿度を低くしても穂温はあまり低下しませんでした.このように湿度が低くなっても三桂草のように穂温の低下の程度があまり変わらない品種もありました.しかし,実験の狙い通りに湿度処理による穂温の差はどの品種も1℃以内におさめることができました.

注目点:
穂気温差,すなわち水の蒸散によって穂を冷却した結果,どれだけ穂の温度が低下するかは品種によって違います.実際,蒸散を抑制すると穂温が上昇し,高温による不受精が増加するという報告があります..

http://www.jstage.jst.go.jp/article/jcsproc/221/0/226/_pdf/-char/ja/
 分散分析の結果,不受精率には品種間差異が認められましたが,,湿度による影響は認められませんでした. 2003年の実験における37.5℃の気温における不受精率は
タカナリ<IR72<IR65564-44-2-2<三桂草であったのに対し,
今回の実験ではIR65564-44-2-2(NPT)において受精が劣り,
三桂草は2003年の実験ではもっとも受精が劣ったのに対し,今回の実験ではタカナリの次に受精がよくなりました.

要点:結局,湿度そのものは不受精率には大きな影響は与えませんでした.

結果
1.穂温は湿度によって影響されたか?

2.湿度が不受精率に及ぼす影響

3.湿度が葯の基部裂開率に及ぼす影響
 高温不稔の発生にもっとも関連が深いと考えられる葯の基部の裂開率の結果が右の図です.右の写真で下の方の亀裂(オレンジ色の点線で囲った部分)が葯の基部裂開部に相当します.この部分の裂開率は品種,湿度の影響を有意に受けました.品種ではIR72において葯の裂開が他の3品種よりも低い傾向にありました.湿度が高い方が葯の裂開率が高い傾向にありました.とくにIR72,NPTでは高い湿度で葯の裂開率が高まる傾向がはっきりしていました.処理1日目と2日目の葯裂開率の差は明らかではなく,高温処理の前歴の影響は認められませんでした.

要点:湿度は不受精率にはあまり影響を与えなかったのですが,高湿度では葯の裂開率が高まることが分かりました.
4.湿度が受粉数に及ぼす影響
 しかし,高湿度によって葯の基部裂開率が高くなったのにもかかわらず,受粉数は湿度による効果は認められませんでした.しかし,受粉数には品種と湿度の間に交互作用がありました.とくにIR72では高湿度区で葯の裂開率が高くなったのにもかかわらず,受粉数はむしろ少なくなりました.受粉数には前歴の影響が見られ,IR72以外の品種では処理2日目の方が受粉数は少なくなりました.

要点:葯の基部が大きく裂開すると受粉数が増えそうなものですが,かならずしもそうとはいえないことがわかりました.湿度が高いと葯から花粉が落ちにくくなるようです.
5.湿度が花粉発芽率に及ぼす影響
 花粉発芽率は高湿度でやや高い傾向にありましたが,有意差は認められませんでした.
6.湿度が開花時刻に及ぼす影響
 開花始め,開花盛期ともに4品種いずれも高湿度区で早くなる傾向にありました.さらに処理2日目は1日目よりも遅くなる傾向にありました.

三桂草ではとくにその傾向がはっきりしており,高湿度では8時から10時の間に開花始めおよび開花盛期を迎えるのに対し,低湿度では10時から11時の間に開花始めおよび開花盛期を迎えました.IR72,タカナリでは湿度と処理日数の影響はそれほど大きくはありませんでした.NPTでは湿度の影響はそれほど大きくはありませんでしたが,処理日数の影響は大きく,処理2日目では開花が1〜2時間遅くなりました.

要点:湿度が開花時刻に影響を及ぼしている可能性があるようです.しかし,この年だけの実験で結論を出すわけにもいかないので,さらに実験を積み重ねていくべきでしょう.
結論
 以上の結果から,今回の実験では穂温をほぼ同一にした条件では湿度は不受精率には影響がみられませんでした.しかし,高温不稔に関与するいくつかの形質(葯の裂開長,花粉発芽率,開花時刻)に湿度が関与する可能性が認められました.すなわち湿度が高くなると葯の基部裂開率,花粉の発芽率が高まり,開花時刻が早くなる傾向にありました.これらの要因はいずれも受精に有利に働くとみられますが,それでも受粉数には差が認められませんでした.
 葯の裂開調査の時に写真を撮影しておいたので,それを観察すると,高湿度区の葯は裂開していても葯に残っている花粉が多いように見受けられました.しかし,数を測定したわけではないのではっきりしたことはいえませんでした.今後は葯に残存した花粉数の調査も行う必要があるのかもしれません.(といいながら今年の実験でも残存花粉数の調査はしていません.葯のサンプルがあるので不可能ではないですが・・・かなり大変そうです・・・といっても学生にやらせるのですが・・・)